福祉用具の IoT って何だろう? 松葉づえとトイレと 何が違うんだろう?
ここに上げた写真は、すべて中国のパナソニックのはなしだ。
いつのことだったのだろう。中国人が爆買いに来て、温水シャワー付きの便器が大いに売れた。中国の人々が嬉しそうに担いで、帰国していった。
それは2015年頃のことだから、無慮5年、いまや中国ではパナソニックが使用者の健康状態を自動的に判断できる便器を売っている。勿論、温水シャワーは付いている。
詳細は、添付のアドレスを見ていただきたいが、中国のパナは、人々の病院での加熱ぶりを見て開発を思い立ったようだ。長蛇の列で、なかなか診察して貰えない。
それなら、自分で診察してしまおう。
自分のオシッコを検査する技術は、流石に相当難しかったらしいが。
しかし、このマシンは果たしてそんな人文科学的な問題解決型の商品か?
私にはトイレというより、ロボットの延長のように見える。
すべて自己判断で人間様のお役に立つためにある。
『 福祉用具 』の勉強を始めると、最初は車椅子とか、いろいろあって、いかにも人間の不具合=「不具」を補うかのように思う。
しかし、その「不具」って何だろう?
ヒトが何ができたらイイなあ、と思ったことを実現するためのツールだ。
ということは、単なる器具ではないし、社会的システムに組み込まれると、その器具そのものが「用具」となる。
それから考えると、お医者に罹らなければならないようなことは全て「用具」の対象となるだろう。
ここでの検査ツールも、本来ならお医者に行かねばならない事柄なので、充分、「用具」=ツールたりえる。
福祉用具のカタログを見ていると、よくここまでお考えになられましたね、的なツールがあり、結構人気のようだ。
一方、介護ロボットとなるとITの塊で、えらく高額になり、また機械機械して、未来型とも言える。
かくして福祉用具と介護ロボットとの間には、かなりの溝があるようだ。
しかし、人々が安心して安全な人生をおくるに当たっては、そんな境界に意味はあるのだろうか?
多分、健康だって自己責任なわけだから、まず誰にも頼らず、自分の健康は自分でチェックする、次いで、不具合が見つかったら自分で治す、それでもダメな場合はお医者に罹る。
そんな自律的な生活が間近に迫っているような予感がする。
添付の写真は、みなこの記事からコピーしました。
新宿区ホーム >くらし> 住まい >住宅> 新宿区居住支援協議会を設立しました
この表題は、新宿区のホームページから取りました。
>で示されているように、いわゆるパンくずです。
(Web用語で、ホームページから、どのように辿ったか表示する仕組み。)
4層目というか、最下層ですね。(なかなか辿り着けない。)
では、この『居住支援協議会』とは、何をするところか?
『住宅確保要配慮者』の方々に、賃貸住宅を斡旋する組織です。
『住宅確保要配慮者』とは誰のこと?
これは、低額所得、被災、高齢、障害、子育て、の方々のことです。
2017年に、これらの方々に、民間の空き家、空き室をお世話しようとする制度ができました。『セーフティネット住宅』と言うようです。
この制度を巡っては、乱戦気味で国土省系、厚生省系が入り乱れ、また民間も頑張って参加しています。
例の冤罪で有名になった、元事務次官の村木厚子さんも参加しています。
なにしろ、基本的な動機が 美しい ですから皆さん(外野の)参加したがるのでしょうね。
では、実態は如何?
冒頭の写真が示しています。
ともかく古い住宅が多い。
狭い。
使い勝手が悪い。
勿論、これらに対してはリフォームの制度がありますが、リフォームで片付くようなレベルでは無さそうです。
結果、契約は成立しない、と思われます。
(必ずしも、高齢者、外国人等、深刻な困窮者に対応しているとは限らない。)
行政も、結果が見えているので熱が入りません。
新宿区では、「住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅の供給の促進に関する法律」の成立とともに、支援協議会を作り、同時に会議も開催しました。
しかし、続報がありません。
豊島区の方がまだ進んでいます。
https://kyoju-shien-toshima.com/
別建てで、サイトを起ち上げているだけ、優秀です。しかも、YouTubeまで作ってPRしているところなど、他の協議会も学んで欲しいですね。
ただ、現在のところ、この制度は不動産屋の あまり物件、どうしようもない物件の、コトバは悪いが「はきだめ」と化しているのではないでしょうか。
どうしたら良いのだろう?
決して簡単なことでは無いですが、私から見ると、制度が短絡的なような気がします。
住宅困窮者がいます。あまった住宅があります。では、マッチングしましょう。
なになに、住宅の程度が低い?ならリフォームしましょう。どうですか?
では人は来ない。
かりそめにも、公的機関がかかわるなら、もっと前向きな目標が欲しいですね。
今の制度趣旨では、単なる片付け、処理になってしまう。
現在でも、公営住宅は、いかにも頭の良い秀才が考えた住宅で、だから民間の住宅が売れるのですが、
この制度も生活体験のシャビ―(shaby)な秀才が頭で考えたシステムのような気がしてなりません。
本当は、我が国の住宅政策そのもの、人が住宅を欲する本質、逆に貸す本質等をじっくり吟味して論じるべきですが、とりあえず、余りと言えば余りの現実について感想を述べました。
私自身、知識も乏しいので、是非ご意見をお寄せください。
社会福祉協議会のある「集まり」
昨日、新宿区社会福祉協議会の音頭取りで、ある『集まり』が開かれた。
この集まりは、実は名前がまだなく、時間と場所だけが指定された集まりだった。
テーマは、なんとか地域で集まれないか、そして元気になれないか、というもので、メンバーが各人、思いのたけを語り合う、というものだった。
まず、最初に高齢者総合相談センターの方から、アンケートの報告があった。
これを見ると、丸いシールが、左側に寄っているでしょう。
皆さん、圧倒的に、face to face で顔を合わせたがっている。
しかし、コロナの影響で集まれない、そのフラストレーションが滲みでている。
では、どうするか、である。
皆さんが集まったこの2階も、コロナで開放できない。
といって、個人宅も無理だ。
集まる場所は、結局、無いのである。
議論は尽きないが、集まれなくても集まったのと同じ結果を出すために、交換日誌を置こう、それに各人、手書きしていこう、となった。
どこまで、出来るか、まず、やってみることにした。
日誌の置き場は、出張所のボランティアセンター。
ところで、何の目的で日誌の置き場まで来るのか?
ここで議論百出。
みなさん、何か面白いものを置いたらどうか的な発想だった。
でも、これでは子供の頃の学校の議論と同じだ。
伊藤さん、如何ですか?
司会の青木さんから振られて、ついつい持論を語ってしまった。
伊藤=私は答える。働きましょうよ。働いてお金を貰いましょうよ。ボランティアも良いけれど、アマチュアではダメだと思いますよ。
私の意見は、まず、働く。その結果として相当な対価を頂く。社会の一員として組み込まれる。
居場所を得るのである。
その結果、お裾分けで、集会に参加し、他のみなさんのお役に立つ。
そうすれば、何をするにも自信がついてくるし、何より、孤独感を癒される。
もうじき、交換日誌も置かれるだろう。
初めは、知っている人物のみ書き込む。
そのことを知った他の方も書き込む。
だんだん輪が広がっていく。
それでいいんじゃないか・・・
まあ、昨日はそんなところで終わった。
次回の日時も、交換日誌で議論し、決めることにした。
どうなることやら、楽しみに待とう。
高齢者の発言は、なぜ少ないのか
見ざる 言わざる 聞かざる
最近、ブログを書いていて、いつも思わざるを得ないのだが、なぜ、高齢者について、「元気なひと」ばかり発言するのだろう、高齢者自身が発言しないのに・・・。
やれ、高齢者は僻みっぽいから、おだてよう、とか、高齢者はこう言うから、ああしよう、だとか、
はたまた、高齢者になると直近記憶が薄れるので、同じことを繰り返す、だとかの指摘になる。
ご本人の直接の発言は切り取られ、矮小化し、一方的になってしまう。
その結果、○○さんは、ああだから、こうしよう的な判断になり、実施される。
しかし、ああだから、と判断するのは、たとえば家族とか、介護するスタッフとかで、決してご本人の意思を反映したものとは限らない。
このような構造がはっきり出て来てしまうのが、介護職員の募集広告だ。
たとえば、次のようなコピーがある。
「その方なりの、人生を送っていただく・・・」「ご本人さまなりの、老後を送っていただく・・・」
でも、その方なりの って言われても、その方って何か説明してくれるの?ってことになる。
周囲が見当つけて、その方なりと決めつけているだけなんじゃないのか?
何故、こんなことになるのか?
誰もあまり不思議に思わないようだが、ご高齢になると、発言意欲も低下し、発言しても誰もとりあげてくれなくなる、と決めつけているのではないか。
紙媒体、SNS等のネット媒体、どこを探しても、高齢者自身の発言が無い。
これでは、正しい判断はできないだろう。
と言って、何ができるわけではないが・・・。
(本当は、ここを根ほり、葉ほり 追及したかったのだが、もうこれ以上手を尽くすことができそうに無いので、いったん、問題提起だけさせていただきます。)
デイケア施設での「おとこ」と「おんな」
御茶ノ水の東京医科歯科大学の裏に、物忘れ外来の 「メモリークリニックお茶の水」 がある。有名な朝田先生の行っている 軽度認知障害(MCI)の患者のためのクリニックである。
そこには、朝田先生のクリニックの患者のための デイケア施設があり、毎週1っ回、集まってトレーニングを行っている。
先日、知人の付き添いということで、私も参加してきた。
まあ、トレーニングといっても、広い意味でのデイサービスで、まだ軽度のためか、お土地柄か、かなり上品な方々が集まっている。わが国のなかでは、高度な生活を送ってこられた方々だろう。
おもな内容は、
午前中・・・体操、このリーダーが素晴らしく、人々を飽きさせない。
お昼・・・思い思いに昼食を摂る。なにを持参してもよいのだが、面倒ならお取り寄せも出来る。500円だが、結構おいしかった。
午後・・・その日は、パズルをやった。結構、むずかしいらしく、私の知人は呻吟していたが、たぶん、あきらめたんだろう。なにやら先生に質問はしていたが・・・。
これらの訓練項目は、受講生に好評らしく、かなり みなさん、熱心に取り組んでおられた。
私はというと、おおきな部屋の片隅で ぽつねんと佇んでいただけだが、それでも全体はよく見えた。おしむらくは、写真を撮ることができず、無聊をかこっていたことぐらいか。
ただ、面白い現象を見てしまった。
たとえば、休み時間になると、女性は一斉にはなしを始める。
わああっ とはなし始めるので、むかしのことばでいえば、姦しい(かしましい)、ということになる。
たいして男性はいかん?
それこそ ぽつねんと佇むばかりで、会話もなければ挨拶もない。
ようは、孤独なのである。
数えてみると、女性16人、男性12人ぐらいで、数的に男性が極端にすくなく、不利な状況というのでもない。
女性がみながみな女性ホルモンに溢れていて、魅力的だ、というわけではない、
が、それにしても、ひとりぐらい、女性に話し掛けるぐらいのことをしてもよいだろう、と思ってしまう。
お昼休みは、かなり長いのだが、男性諸君は、みなさん食事が終わってしまうと じいっと前をみて、ひとことも喋らない。
オイオイ、みなさん、だいじょうぶですか?と聞きたいぐらい押し黙っている。
たぶん、これは生物学的に こう つくられているんだと思う。
だから、平均寿命でもなんでも 女性優位となってしまうんだろうなあ。
先日来、読み返している寿命の本のはなしによると、たんに平均寿命を伸ばすことに いかほどの価値があるのか、ということらしいが、
それにしてもここまで押し黙って、つくねん、ぽつねん、と前をみているだけでは、生きている価値がないだろう、と思ってしまった。
このケアシステムの効果測定は、どのようにしているのかわからないが、それより、この男女のちがいに驚かされた。
高齢化にともなう現象についても、世のなかに 数字があふれている。
たとえば、アルツハイマーにかかる人の男女比。
75歳もすぎればアルツにもなってしまうだろうし、いろいろ大変だ。
しかし、ものの本によると女性の方がかかりやすい、となっている。
でも、本当かなあ? 年代を細かく区切っていくと、もっとちがう現象がでてくるかもしれない。
いろいろなところで、もっと具体的に数字をみていかないと、なにも解決しないんじゃないか、そんな気がした。
なにしろ、高齢化の問題は、だれも経験してないことがらだから・・・。
どちらの方が、より「孤独」なんだろう
https://www.dailymotion.com/video/x7vzuy2
いつものとおり、寝る前にfacebookをみていたら、こんな記事が出ていた。
『 ひとりぼっちで 死なせない 』
NHKのHUMANという番組である。
ここでは、何らかの事情により 薬物、アルコール等にはまり、依存症になってしまった人たちが 高齢になったときの 介護施設 が描かれている。
下に出ているURLが、現実の放映を反映しているのだが、facebookのほうだけでも、十分わかるだろう。
清原選手の件でもわかるとおり、薬物等にはまると、抜け出すのは困難だ。
いわんや、それが高年齢者になれば、ほぼ不可能だろう。それを、ここでは治してくれる。もう、手出しはしなくなるのだ。
素晴らしい。
ここでは、沖縄出身の方が、故郷に、育ての母(おばあちゃんのことだが)のお墓参りに行くことが、ひとつの軸になっている。
永年音信不通だった叔父・叔母との邂逅。手も握り合った。
念願だった おばあちゃんの墓参りも無事すんだ。
沖縄の方と仲が良かった、もう一人の方が北海道の父母の墓に入れなかったことと対比して、よく描かれていると思う。(対比のさせ方がNHK的だが)
そして、施設の長が繰り返し、発言する。
「過去を問うんじゃなくて、現在を受け入れる。本人が変わろうとしていたら応援してあげたい。」
それにも、まったく異存は無い。
ただ、番組を見終わって、確かに、薬物中毒で、依存で、家族と疎遠になってしまった方も孤独でしょう。
でも、普通にやってきて、結婚もしました、こどもも作りました、しかし、施設に入ったら、誰も来ませんでした、と、どっちが孤独なんだろう。
さらに、毎日のように見舞いに来てくれます、おいしいものも差し入れてくれます、楽しく談笑します、が、私の胸のなかには、冷たい風が吹いています。
と、どっちが孤独なんだろう。
孤独に程度の差は無いし、もちろん勝ち負けの問題でも無い。
ヒトって、孤独なんだなあ、でも済まないんだろうし、どう考えればいいのかなあ・・・。
生前整理 そんなに必要なの?
いま、ネットでは、生前整理の記事が花盛りである。
どんなものがあるか、
代表的なものは、「お墓」であろう。
「墓じまい」のような言葉は、もう流行語というより日常語として定着した。
googleでも、約2,590,000件、出ているようだ。
で、これを行うことも「終活」とされる。
世の中、どんどん「終活」されている。
他にも、私が知っているかぎりでも、自分史とか、アルバム整理とか、色々ある。
これらは、特に終活でもなかろう、ということで若い人からの引きも強い。
自分史など、googleで、約91,600,000件とのこと。
アルバム整理で、約17,900,000件。
終活の王者、エンディングノートで、約6,530,000件。
これは、さすが、終活の終盤だから数はちょっと減る。
ただ、切迫度は高いだろう。
昔だったら「遺言」だから、法的なチェックも厳しい。
というより、今でも法的には遺言となり得るので、その気になって
書いて欲しい。
第一、生前整理からして、約12,500,000件で、けっして少なくないのだ。
どうして、こんな風になったのだろう。
一つには、整理整頓ブームで、片付け、断捨離、等いろいろな表現があるが、ともかく、整理して気持ちをすっきりさせたいブーム、が続いている。
なぜ、こんなブームになったのか、専門家はどう考えているのか、聞いてみたい気がするが、私が考えるに、誰も正解は持っていないだろう。
ただ、高齢者には、今更、整理整頓しても始まらない、という面もあるので、なんとも言えないが、子供たちに迷惑は掛けられない、という感覚がもう一つの理由だろう。
でも、それで、こんなにブームになるんだろうか?
私の知り合いが、名門女子大を卒業後、リクルートに入社し、今は自分史の編集・出版をして、結構、よい生活をしている。
こんど、聞いてみよう。