介護と孤独

介護する側とされる側、その不平等と非対称性について考えます。

社会福祉協議会のある「集まり」

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箪笥町高齢者総合相談センターの2階に集まったメンバー。右端の男性と左の縞シャツの男性は住民・・・たまたま住民は男性のみ。

 

昨日、新宿区社会福祉協議会の音頭取りで、ある『集まり』が開かれた。

 

この集まりは、実は名前がまだなく、時間と場所だけが指定された集まりだった。

テーマは、なんとか地域で集まれないか、そして元気になれないか、というもので、メンバーが各人、思いのたけを語り合う、というものだった。

 

まず、最初に高齢者総合相談センターの方から、アンケートの報告があった。

 

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箪笥町高齢者総合相談センターが実施したアンケートの結果報告。圧倒的多数の方が集まる場所を望んでおり、しかも殆どが女性(赤丸)。

 

これを見ると、丸いシールが、左側に寄っているでしょう。

皆さん、圧倒的に、face to face で顔を合わせたがっている。

 

しかし、コロナの影響で集まれない、そのフラストレーションが滲みでている。

 

では、どうするか、である。

 

皆さんが集まったこの2階も、コロナで開放できない。

といって、個人宅も無理だ。

集まる場所は、結局、無いのである。

 

議論は尽きないが、集まれなくても集まったのと同じ結果を出すために、交換日誌を置こう、それに各人、手書きしていこう、となった。

どこまで、出来るか、まず、やってみることにした。

日誌の置き場は、出張所のボランティアセンター。

 

ところで、何の目的で日誌の置き場まで来るのか?

ここで議論百出。

みなさん、何か面白いものを置いたらどうか的な発想だった。

でも、これでは子供の頃の学校の議論と同じだ。

 

伊藤さん、如何ですか?

司会の青木さんから振られて、ついつい持論を語ってしまった。

伊藤=私は答える。働きましょうよ。働いてお金を貰いましょうよ。ボランティアも良いけれど、アマチュアではダメだと思いますよ。

 

私の意見は、まず、働く。その結果として相当な対価を頂く。社会の一員として組み込まれる。

居場所を得るのである。

その結果、お裾分けで、集会に参加し、他のみなさんのお役に立つ。

 

そうすれば、何をするにも自信がついてくるし、何より、孤独感を癒される。

 

もうじき、交換日誌も置かれるだろう。

初めは、知っている人物のみ書き込む。

そのことを知った他の方も書き込む。

だんだん輪が広がっていく。

それでいいんじゃないか・・・

 

まあ、昨日はそんなところで終わった。

次回の日時も、交換日誌で議論し、決めることにした。

どうなることやら、楽しみに待とう。