介護と孤独

介護する側とされる側、その不平等と非対称性について考えます。

デイケア施設での「おとこ」と「おんな」

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お茶の水東京医科歯科大学の裏にある同窓会のビル。ここに朝田先生のクリニックが入っている。

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朝のうちは、まだ のんびりしている。

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パズルの時間。左の奥の方が男性グループ。こころなしか、静か。

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私の知人。相当むずかしいらしく、多分、完成はあきらめたんだろうと思う。




 

 

御茶ノ水東京医科歯科大学の裏に、物忘れ外来の 「メモリークリニックお茶の水」 がある。有名な朝田先生の行っている 軽度認知障害(MCI)の患者のためのクリニックである。

 

そこには、朝田先生のクリニックの患者のための デイケア施設があり、毎週1っ回、集まってトレーニングを行っている。

 

先日、知人の付き添いということで、私も参加してきた。

 

まあ、トレーニングといっても、広い意味でのデイサービスで、まだ軽度のためか、お土地柄か、かなり上品な方々が集まっている。わが国のなかでは、高度な生活を送ってこられた方々だろう。

 

おもな内容は、

午前中・・・体操、このリーダーが素晴らしく、人々を飽きさせない。

お昼・・・思い思いに昼食を摂る。なにを持参してもよいのだが、面倒ならお取り寄せも出来る。500円だが、結構おいしかった。

午後・・・その日は、パズルをやった。結構、むずかしいらしく、私の知人は呻吟していたが、たぶん、あきらめたんだろう。なにやら先生に質問はしていたが・・・。

 

これらの訓練項目は、受講生に好評らしく、かなり みなさん、熱心に取り組んでおられた。

 

私はというと、おおきな部屋の片隅で ぽつねんと佇んでいただけだが、それでも全体はよく見えた。おしむらくは、写真を撮ることができず、無聊をかこっていたことぐらいか。

 

ただ、面白い現象を見てしまった。

 

たとえば、休み時間になると、女性は一斉にはなしを始める。

わああっ とはなし始めるので、むかしのことばでいえば、姦しい(かしましい)、ということになる。

 

たいして男性はいかん?

それこそ ぽつねんと佇むばかりで、会話もなければ挨拶もない。

ようは、孤独なのである。

 

数えてみると、女性16人、男性12人ぐらいで、数的に男性が極端にすくなく、不利な状況というのでもない。

 

女性がみながみな女性ホルモンに溢れていて、魅力的だ、というわけではない、

が、それにしても、ひとりぐらい、女性に話し掛けるぐらいのことをしてもよいだろう、と思ってしまう。

 

お昼休みは、かなり長いのだが、男性諸君は、みなさん食事が終わってしまうと じいっと前をみて、ひとことも喋らない。

オイオイ、みなさん、だいじょうぶですか?と聞きたいぐらい押し黙っている。

 

たぶん、これは生物学的に こう つくられているんだと思う。

 

だから、平均寿命でもなんでも 女性優位となってしまうんだろうなあ。

 

先日来、読み返している寿命の本のはなしによると、たんに平均寿命を伸ばすことに いかほどの価値があるのか、ということらしいが、
それにしてもここまで押し黙って、つくねん、ぽつねん、と前をみているだけでは、生きている価値がないだろう、と思ってしまった。

 

このケアシステムの効果測定は、どのようにしているのかわからないが、それより、この男女のちがいに驚かされた。

 

高齢化にともなう現象についても、世のなかに 数字があふれている。

たとえば、アルツハイマーにかかる人の男女比。

 

75歳もすぎればアルツにもなってしまうだろうし、いろいろ大変だ。

しかし、ものの本によると女性の方がかかりやすい、となっている。

でも、本当かなあ? 年代を細かく区切っていくと、もっとちがう現象がでてくるかもしれない。

 

いろいろなところで、もっと具体的に数字をみていかないと、なにも解決しないんじゃないか、そんな気がした。

 

なにしろ、高齢化の問題は、だれも経験してないことがらだから・・・。