高齢者の発言は、なぜ少ないのか
見ざる 言わざる 聞かざる
最近、ブログを書いていて、いつも思わざるを得ないのだが、なぜ、高齢者について、「元気なひと」ばかり発言するのだろう、高齢者自身が発言しないのに・・・。
やれ、高齢者は僻みっぽいから、おだてよう、とか、高齢者はこう言うから、ああしよう、だとか、
はたまた、高齢者になると直近記憶が薄れるので、同じことを繰り返す、だとかの指摘になる。
ご本人の直接の発言は切り取られ、矮小化し、一方的になってしまう。
その結果、○○さんは、ああだから、こうしよう的な判断になり、実施される。
しかし、ああだから、と判断するのは、たとえば家族とか、介護するスタッフとかで、決してご本人の意思を反映したものとは限らない。
このような構造がはっきり出て来てしまうのが、介護職員の募集広告だ。
たとえば、次のようなコピーがある。
「その方なりの、人生を送っていただく・・・」「ご本人さまなりの、老後を送っていただく・・・」
でも、その方なりの って言われても、その方って何か説明してくれるの?ってことになる。
周囲が見当つけて、その方なりと決めつけているだけなんじゃないのか?
何故、こんなことになるのか?
誰もあまり不思議に思わないようだが、ご高齢になると、発言意欲も低下し、発言しても誰もとりあげてくれなくなる、と決めつけているのではないか。
紙媒体、SNS等のネット媒体、どこを探しても、高齢者自身の発言が無い。
これでは、正しい判断はできないだろう。
と言って、何ができるわけではないが・・・。
(本当は、ここを根ほり、葉ほり 追及したかったのだが、もうこれ以上手を尽くすことができそうに無いので、いったん、問題提起だけさせていただきます。)