介護と孤独

介護する側とされる側、その不平等と非対称性について考えます。

グループホームに勤務してみて

 

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<あぶくま厚生園。医療福祉建築賞 2019・準賞の作品です。今月の内容には関係ありませんが、元不動産業者として、時々取り上げていきたいと思います。>https://www.aij.or.jp/jpn/design/2018/data/5_award_002.pdf


あっという間に、半月、経ってしまった。

 

この間、なにもしなかったかというと、さにあらず、

一丁前に就職活動をして、一丁前に就職しましたぁ・・・。

 

勤務開始が8月の最初の月曜日。

ようやく1週間ちょっと経った。

 

最初は面食らうことばかり。

なぜって、やらねばならないことは、家でやっていることばかりだった。

 

介護って、なにか専門の知識を活かして、要介護者を護ることだと思っていたが、

要は、生活を護ることだから、生活サポートそのものなんですね。

 

ということは、要は、家政婦の親玉みたいなもんだから、

メシを作る、洗濯物をする等を大量にやるだけに過ぎない。

 

正直、洗濯物を取り込んだりしていると、

なんでこんなこと始めてしまったんだろう、と思わぬでもない。

 

しかし、しかしである。こんな仕事を掛け持ちでやっている青年とかいたり、

元看護師の女性がお局様になって、猛威を振るいながらもゲスト(利用者)に対しては

ロイヤルティの塊になっていたりするのを見ると、もう少し頑張ってみようと思う。

 

いままで、介護される側に重点をおいてしまったが、介護する側にも動機もあれば、

事情もある。

 

しばらく、どっぷりと浸って、介護する側、介護せざるを得ない側のロジックも

『感じて』みよう。