介護と孤独

介護する側とされる側、その不平等と非対称性について考えます。

人は、いつ老人になるのだろうか?

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https://www.youtube.com/watch?v=YSbdvZyYbqQ 是非、初めから見て欲しい

 

今、私はグループホームで働いているのだが、ここには、明らかに「老人」しかいない。

ただ、考えてみるまでもなく、みなさん、突然に老人になったわけではない。

 

認知症の勉強をしていたら、あの認知症でさえ、突然なるものではなく、20年も30年も前から、徐々に病気の元を貯め込んでいるとのことだ。

 

老人になること、これは万民に共通で、認知症の比ではない。

 

では、いつから、どうやって老人になるのか?

 

生物学的に老化するのは避けられない。

 

しかし、哀れな孤独な老人になってしまうのか? ニコニコして楽しそうな老人になれるか?
あるテレビ番組を見ていて、考えさせられた。

 

その番組とは、日テレの夕方の番組、news every 8月25日放送、「お母さんの財布」なのだが、

ここに出てくる 泉友梨香さん、まだ若いのに5人の子供を育て、
一度も泣き言を言わない。不機嫌な顔をしたこともない。

いつも淡々と、むしろ朗らかで、笑顔がとってもチャーミング。

 

その彼女が言った。

80歳や90歳になって 自分の人生を振り返った時に、今が一番幸せだったな、って思いそうな気がしません?


でも、この人だったら、いつも、今が一番幸せだ と言うだろうし、
いずれにしても人生の一瞬でも、今が一番幸せと思える人生って、素晴らしいと思った。

きっとこんな思いが、幸せな老後を作ってくれるだろう。

 

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実践的で、分かりやすい「オムツマン」が丁寧に解説してくれる。https://omutsuman.work/2019/02/17/1-52/

 

 

介護の中で、比重の大きのは食事と、食事の結果である排泄ということになる。

排泄については、初任者研修でも教えてくれるのだが、毎日、毎日、排泄の介助をしているともっともっと知りたくなる。
というか、知らないと困ってしまう。

 

一つには、排せつ物の内容、どんなもの食べたかで、どんな風に違ってくるのか。

もう一つは、排せつ物を受け取るモノ、つまり「おむつ」だ。

 

この「おむつ」が難物で、確かにほのかに黄色みを帯びた湿気は
どのように吸収されたのか、
しかも、殆どサラサラしているのは、なぜか。

 

ここが、実は、男性はまったく分かっていない。
私も男性だから、当然、分かっていない。

 

女性は、初潮を迎えるころから、ずううっと生理のたびに、このパッドを利用しているため、このおむつ状の物体に慣れており、
研修で学んだ、というようなレベルでは、太刀打ちできない。

 

女性は、その後、赤ちゃんのおむつとか、さらに慣れて、感覚が深まる。

男性は、フツー、そんなことには関わらないのだ。

 

そこで、いろいろな手法で学ぶことになる。

一番の方法は、学術的?に学ぶことだ。
学術的と言っても、大袈裟に研究することではない。
知識的に学ぶことだ。

 

知識的といえば、当然、おむつ各社のホームページを見ることになる。
ただ、これがよく分からない。

 

当然でしょう。
本当に概略しか書いてないので、おむつの本質には迫ってない感じがする。

 

分かるためには、なぜ?が必要であり、そのなぜ?を5回は繰り返す必要がある、と言われている。
トヨタ生産性方式の5W1H・・・5回の Why?と、1つの How?)

 

まあ、しかし、本質に迫っていないのは致し方ないとして、自分なりに勉強する方法をさらに研究する必要がある。

 

先ず、自分で、おむつの本質はなにか、設定することだろう。


① 水分をよく吸収する
② 吸収しても、もれない
③ 身に付けていても目立たない


ぐらいのところか。

 

しかし、①の水分吸収性だけとっても、生半可な知識では各社の製品も理解できないし、いわんや、優劣など付けられない。

 

学校時代にならった、紙おむつは、重化合物なので水分吸収力が高い、なんてことは、既にお呼びでないのである。
どのように重化合させた、どんなポリマーが求められているのか?
どのような欠点があり、どのように進化させるのがよいのか?
(不思議なことに、各社とも原材料については、触れていない。)

 

②は、日本のおむつが優秀であることの最重要ポイントなので、大変興味深い点だが、発明は良いとして、実際、誰かに穿かせてベッドの上で動き回らせ、実証したのだろうか?

 

身体の大きなひともいれば、痩せたひともいる。どうやって標準を割り出していったのか、興味深い。

 

③は?

 

なにか、もう頭がいっぱいになってしまった。

 

引き続き、考えていくので、今日はここまでで勘弁してください。

 

世界、どこでも、お年寄りは、孤独なんだね。

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・・・ 8月17日 NHK BS1 放映の番組表から・・・
私の拙い文章より、よほど精緻に総括されています。

 

 

先日、テレビの録画を視ていたら韓国での「高齢者の孤独」が取り上げられていた。

その番組を視ていると、韓国では、お年寄りは精神的には、結構大切にされているようだった。
ということは、経済的にはかなり大変。

 

しかも、今般の「コロナ騒動」でみんなで集まり、ご飯を食べたりゲームをしたりする施設が閉められてしまい、みなさん、行き場が無くなってしまった。

 

印象的だったのは、まだまだお元気なおばあちゃんが、何度も、もう死んでも良い、死んでしまった方がましだ、と言っていたことだ。

 

今の私の職場を思い出す。

 

あるおばあちゃんがいて、102歳のおばあちゃん、98歳のおばあちゃんがいる中で、昭和8年生れはけっして高齢者ではないのだが、それでもそのおばあちゃんにしてみると、生き過ぎた感じがしているらしく・・・
もう「ドボン」してもいいんだよ、「ドボン」したいよ、が口癖だ。

 介護する人、みんなで励ましているのだが・・・。

 

 

この番組の制作はNHKだから、基本的なトーンはNHKそのもので、おじいちゃん達は外気の中、公園で囲碁将棋。
日本の都市公園と同じ光景だ。

 

繰り返し、出てくる。

どうやら、見捨てられていることを強調したいよう。

 

でも、男なんて、そんなもんなんだろうな。

 

韓国では、この高齢者の孤独問題を解決するため、訪問する女性が一緒になってご飯を作り、一緒に食べたり、植物を育てたり、一生懸命の様子だ。

 

翻って、我が国では?という問題提起をNHKがしている。

 

 

この番組は再放送されるのだろうか?

若し、機会があったらちょっとだけでも、ご覧いただきたい。

絵と動きが無いのが残念だ。

介護福祉士さんたちの熱意

朝、8時半に職場に出ると、そこには、おばあちゃんたちと、
介助する女性たちのにぎやかな朝食風景が展開されている。

 

私は、おはようございます!と大きな声で挨拶し、
ただちに自分の体温を計る。

 

その後、台所に行き、昼食のメニューを確認し、
トイレ清掃のあと、すぐに(自分で)調理できるよう、
頭のなかで組み立てる。

 

このあと、上階のトイレ清掃にでかけるわけだが、
9時には、「おくり」という夜勤の方からの申し送りがあるので、
いったん、1階に降りなければならない。

 

4階からだんだんに降りてきて、消毒、ごみ集め、と
清掃を続けていくと、朝から、結構、忙しい。

 

た~だ、職務が決まっているのは、トイレ清掃ぐらいのものだ。
それも、1日のなかで、いつやっても良い。

 

あとは、臨機応変にこなしていく。

 

なぜだか、わかりますか?

 

ここでは、すべて仕事が、おばあちゃんたちのために!だからです。

 

そのためには、どこかの政府のせりふではないですが、
「切れ目のない」サービスが求められる。

 

一応、役目はきちんとあるが、
職務権限なんか遵守してられない。

 

四六時中、あたりに目を配って
なにかやっておかねばならないことはないか
眼を光らせておかねばならない。

 

わたしは、まだ完璧にはできない。
教わったとおり、できない。

 

たしかに教え方にも問題はあるかもしれないが、
いま居るスタッフは、みな、覚えてきた。

 

あるとき、料理途中の方に教わった。


どうやって覚えたのですか?

 

その方は派遣だが、細大漏らさず、ノートして覚えた、ということだった。

 

みなさんとやる、アクティビティはどうされたんですか?

ああ、あれね。YouTubeで覚えたのよ。
今は、いっぱい出ているから、覚えておいて使うのよ。

 

みんなの食事介助をしながら、1食330円のお昼を掻っ込んで、
午後の流れに向かう。

 

午後は洗濯モノの取り込みと、みなさんへのたたみのお願い。
その、たたんだ洗濯モノのみなさんのお部屋への配達と収納。

 午後のごみ集めと、戸締り。


カーテンを閉めて、夜間用の照明にすると、全体がガラッと
変わる。

 

これが毎日、毎日、毎日、繰り返される。

 

ひとことで言って、単純で、飽き飽きする。

 

これを所長は、17年間、続けてきたのだ。

 

他のスタッフは、短い。

それも当然でしょう。


おそろしいと、思いません?

 

この生活が、ずうううっと続くかとおもうと、非常に複雑な気持ちになる。

 

前回、お約束した「意識高い系」の介護の方々への評価は
次の機会に回させてください。


昼間の仕事のことを考えただけで、なんか、疲れてきちゃった・・・。

 

 

 

今日も、建築関係の記事を載せませす。google検索の最初に出て来た記事です。
先生の仰ることは、そのとおりですね。衷心から、こうなって欲しいと思います。

 

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介護する人々

『介護』という社会的現象が成立するためには、「介護される側」と「介護する側」の両者が必要となる。

 

介護される側については、縷々述べられているので、

前回申し述べたとおり、
ここでは、介護する側について考えていきたい。

 

それも、意識が高く、理想に燃えている人から、
それほどでもないが、なんとなく、まあ、
人さまのお役に立てる仕事がいいなあ・・・
の人まで、幅広く考えていきたい。

 

いま、我が国で、介護の意識が一番高い人ってだれだろう?

 

もちろん、巷に潜んで、有名になることなんか拒み、
自分の理想を追い求めている方も大勢いらっしゃるでしょう。

 

ただ、そんな方は、潜んでいらっしゃるので、当然、わからない。

 

有名人のなかから、探さねばならない。

 

露出度が高いとなれば、当然、インターネットを探す。

 

昔の人なら(といっても、私より若い)、三好春樹https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A5%BD%E6%98%A5%E6%A8%B9
ちょっと過去っぽい。とはいえ、現在でも基本書として信奉する人は多い。

 

高口光子(たかぐち みつこ)氏などもそうであろう。
https://www.facebook.com/%E9%AB%98%E5%8F%A3%E5%85%89%E5%AD%90-445012292362959/

 

RX組(青山幸広氏)なんかも参考になる。http://www.rx-gumi.com/

 

すこし今っぽくなると、和田行男氏も「注文を間違える料理店」で、注目されている。http://www.mistakenorders.com/

 

ある意味、北原佐和子氏もそうかもしれない。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E4%BD%90%E5%92%8C%E5%AD%90

 

一方、YouTube でも枚挙にいとまが無い。

山中慎太郎氏…四葉会を主宰、youtube「介護学部マニア学科」をシリーズ化。

 

およそ、介護の世界をめざすなら、以上の方々は存じ上げておいた方が良いと思われる。 

 

ただ、これらの方々は、いずれも『介護』を、それも指導することをビジネスにしようとしいている。

普通に働こうという方々とは、一線を画した、いわば向こう側の方々なのだ。

 

では、ふつうに意識が高い人々はどうなのか。

 

これらの方々は、施設にはいり、また訪問介護の事業所に入り、日々、奮闘している。

驚くのは、そんな方々も、驚くほど学習意欲が高く、知識の吸収力が高いのだ。

先ほどの方々も、そんな方々の支持に支えられて、有名になっている。

 

次回は、わたしが、いま勤務している施設を例にとって説明したい。

 

 

以下は、 建築家が作った施設シリーズ 隈研吾

 

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隈研吾 葉山の森 https://kkaa.co.jp/works/architecture/hayama-no-mori-2/


 

 

グループホームに勤務してみて

 

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<あぶくま厚生園。医療福祉建築賞 2019・準賞の作品です。今月の内容には関係ありませんが、元不動産業者として、時々取り上げていきたいと思います。>https://www.aij.or.jp/jpn/design/2018/data/5_award_002.pdf


あっという間に、半月、経ってしまった。

 

この間、なにもしなかったかというと、さにあらず、

一丁前に就職活動をして、一丁前に就職しましたぁ・・・。

 

勤務開始が8月の最初の月曜日。

ようやく1週間ちょっと経った。

 

最初は面食らうことばかり。

なぜって、やらねばならないことは、家でやっていることばかりだった。

 

介護って、なにか専門の知識を活かして、要介護者を護ることだと思っていたが、

要は、生活を護ることだから、生活サポートそのものなんですね。

 

ということは、要は、家政婦の親玉みたいなもんだから、

メシを作る、洗濯物をする等を大量にやるだけに過ぎない。

 

正直、洗濯物を取り込んだりしていると、

なんでこんなこと始めてしまったんだろう、と思わぬでもない。

 

しかし、しかしである。こんな仕事を掛け持ちでやっている青年とかいたり、

元看護師の女性がお局様になって、猛威を振るいながらもゲスト(利用者)に対しては

ロイヤルティの塊になっていたりするのを見ると、もう少し頑張ってみようと思う。

 

いままで、介護される側に重点をおいてしまったが、介護する側にも動機もあれば、

事情もある。

 

しばらく、どっぷりと浸って、介護する側、介護せざるを得ない側のロジックも

『感じて』みよう。