私の母は、要介護度 5
実は、私の母の要介護度が5になっていた。
今年の3月のおわりに、介護度の判定が行われ、
施設のケアマネが立ち会って判定が行われた結果、
5になっていた。
ただ、私の母は、車椅子であるが、寝たきりでは無い。
当然、不服なので、再判定をお願いした。
そこはお役所、ただちに判定に来てくださった。
親切なケアマネさんが、いろいろ訊いて下さるのだが、
母は答えられない。
ケアマネさんから聞いた結果、分かったのは、要介護度の判定は、介護保険をどのくらい使うか、の判定であり、べつに寝ていようが、車椅子であろうが
関係ない、ということだった。
ただ、この基準については、いろいろあって、全国レベルで統一的に判定する
のは難しそうだ。
https://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/nintei/gaiyo2.html
後日、市役所からは冷たく、判定はくつがえらない、という通知が来たが、
もう、うろたえなかった。
では、この要介護度の判定は、どんな意味を持つのか?
介護度を判定し、対象者をクラス分けする方法は、
2000年4月の介護保険法施行の時から行われているのだが、
2006年に制度改革され、現在の7段階になったらしい。
( 対象者の数とか、統計的な数字は、https://www.mhlw.go.jp/topics/0103/tp0329-1.html
に出ている。覚悟して見た方が良いかも知れない。)
何を目的に、クラス分けをしたのか?
介護保険法の制度趣旨からして、全員、決められた額を支払い、
必要に応じて受け取るとしたら、
どこかでその必要度を判定せざるを得ない。
しかし、この「必要度」というのは制度を運用する側の都合
=介護サービスを提供する側の都合であって、
本来、社会に護られることを期待している必要者側の都合ではない。
その結果、ケアマネさんの質問も、必然的にこれは出来るか、あれは出来ないか、のような詰問調になってしまう。
そのうえ、認知症患者に対しては、どうしても『過度の気遣い』が伴うので、
丁寧に訊けば訊くほど、質問された側が、なんて失礼な奴なんだ、という意識になってしまう。
制度運用者側の人間も、いずれ被運用者側になってしまうのだ。
そのことをどれだけ、分かっているのか……。
3つのことを憶えていなさい・・・しばらく時間が経ちました・・・
さっき言った3つのことはなんでしょう?
言ってみて下さい。
(ヒトを馬鹿にするな!)
今日は何日ですか?・・・(現役サラリーマンだって答えられないよ!)
というような質問が続くのだから、やりきれない。
介護度でクラス分けする、という構造的な問題なので、ケアマネさんだって、
やりきれない。
・・・右代表で、私が、母から怒られた!
『なんだか、失礼よね! さっきの人!』
要介護認定の問題は、かなり深いので(要支援2と要介護1とは、どう分けられるのか、等)、今後も研究していきたい。